茶の湯の歴史
6.  千利休
7.  利休の後嗣
8.  千家の再興
9.  千宗旦
10.  宗旦とその息子たち

闘茶の流行

 時代が下がって南北朝のころには、一定の場所に集まって茶の「本非(ほんぴ)」を当てる遊技である闘茶が流行しました。
 「本」とは栂尾(とがのお)産の茶のことをさし、「非」とはその他の土地でとれた茶のことで、栄西の弟子であり京都・栂尾の高山寺の住職であった明恵上人は、ここで茶の栽培に成功し、それがきわめて良質であったために「本茶」と呼ばれるようになったためです。
 異制庭訓往来』には、「我朝名山者以栂尾為第一也 仁和寺、醍醐、宇治、葉室、般若寺、神尾寺、是為輔佐  此外大和室尾、伊賀八島、伊勢八島、駿河清見、武蔵河越茶 皆是天下所皆言也 」とあり、また、茶筅、茶巾、 茶杓等の茶道具の名が出てくるから、 当時、既に、今日で言う抹茶を用い る喫茶法が行われていたことが判ります。

 さて、喫茶往来』 によると、茶室は「喫茶の亭」といい、二階建てで、四方に窓があり、室内は明るく、周囲には庭があって地面に白砂が敷かれています。
 金閣、銀閣などもこのような茶亭であったと推測されています。
 まず客が来るとはじめに酒を三献、つぎに索麺(そうめん)で茶を一杯、それから山海の珍味を出して飯をすすめ、つづいて菓子などでもてなし、このあと庭を眺めたり、木陰で休息をとったりし、やがて茶会の開始にともない二階へ上がるが、内部の壁にはさまざまな仏画の類が掛けられ、堆朱など渡来品の工芸品もあり、また、賞品として提供される珍奇な品々がいろいろと並べられていました。
 机には金襴を懸け、客は豹の皮を敷いた椅子に坐っているといった豪華なものでした。
 闘茶は四種十服、つまり四種類の茶を十回ずつ飲んで茶の本非を区別し、より多く正解であった者が勝ちとなるというものでしたが、闘茶が終わった後は、美肴が出て酒を飲み、管弦により歌ったり舞ったりという宴会が深夜まで続くというものでした。
 闘茶には、茶種が十種から百種、服数も二十から百にのぼる寄り合いもあったといいます。
 なお、闘茶のやり方は利休の時代に改革されて茶かぶきといわれ、三種五服の茶会わせと称して今日に伝えられて、千家七事式のひとつに数えられています。

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『異制庭訓往来』(いせいていきんおうらい) 

 東福寺十五世の虎関師錬(1278〜1346)の室町初期の作と伝えられる。異称『〈虎関和尚〉異制庭訓往来』『百舌(鳥)往来』『新撰之消息』†『新撰消息往来』†『冷水往来』『十二月往来』ほか。
 南北朝時代、延文〜応安(1358〜1372)の頃に作られた古往来(往復書簡)で、各月往返2通、1年24通で構成され、各手紙文中に、撰作当時の社会生活に必要とされた類別単語集団を含むのが特徴。単語は、仏教(122語)、漢文・文学・教養(461語)、人倫・職分職業(32語)、衣食住(222語)、武具(77語)、雑(24語)、計938語に及ぶ。


『喫茶往来』(きっさおうらい)
 室町時代初期の茶会及び喫茶の知識を往来(往復書簡)の形式で示した書物。闘茶会とその様子が示され、室町時代初期の茶会の様子を知る上での貴重な資料である。この書は、二組の往復書状からなり、前半は、掃部助氏清から、弾正少弼国能に宛てた書状とその返書、後半は、周防守幸村から五十位君源蔵人に宛てた書状とその返書からなっている。玄慧の撰といわれるが確かではない。
以下に 掃部助氏清から、弾正少弼国能に宛てた書状を掲げる。
 
 昨日の茶会光臨無きの条、無念の至り、恐恨少なからず。満座の欝望多端。御故障、何事ぞ。そもそも彼の会所の為体、内の客殿には珠簾を懸け、前の大庭には玉沙を舗く。軒には幕を牽き、窓には帷を垂る。好士漸く来り、会衆既に集まるの後、初め水繊酒三献、次いで索麺、茶一返。然る後に、山海珍物を以て飯を勧め、林園の美菓を以て哺を甘す。其の後座を起ち、席を退き、或いは北窓の築山に対し、松柏の陰に避暑し、或いは南軒の飛泉に臨んで、水風の涼に披襟す。
 ここに奇殿あり。桟敷二階に崎って、眺望は四方にひらく。これすなわち喫茶の亭、対月の砌なり。左は、思恭の彩色の釈迦、霊山説化の粧巍々たり。右は、牧渓の墨画の観音、普陀示現の蕩々たり。普賢・文殊脇絵を為し、寒山・拾得 面貌を為す。前は重陽、後は対月。言わざる丹果の唇吻々たり。瞬無し青蓮の眸妖々たり。卓には金襴を懸け、胡銅の花瓶を置く。机には錦繍を敷き、鍮石の香匙・火箸を立て、嬋娟たる瓶外の花飛び、呉山の千葉の粧を凝す。芬郁たる炉中の香は、海岸の三銖の煙と誤つ。客位の胡床には豹皮を敷き、主位の竹倚は金沙に臨む。之に加えて、処々の障子に於ては、種々の唐絵を餝り、四皓は世を商山の月に遁れ、七賢は身を竹林の雲に隠す。竜は水を得て昇り、虎は山によって眠る。白鷺は蓼花の下に戯れ、紫鴛は柳絮の上に遊ぶ。皆日域の後素に非ず。悉く以て漢朝の丹青。香台は、並びに衝朱・衝紅の香箱。茶壷は各栂尾・高尾の茶袋。西廂の前には一対の飾棚を置き、而して種々の珍菓を積む。北壁の下には、一双の屏風を建て、而して色々の懸物を構う。中に鑵子を立て湯を練り、廻りに飲物を並べて巾を覆う。
 会衆列座の後、亭主の息男、茶菓を献じ、梅桃の若冠、建盞を通ぐ。左に湯瓶を提げ、右に茶筅を曳き、上位より末座に至り、茶を献じ次第雑乱せず。茶は重請無しと雖も、数返の礼を敬し、酒は順点を用うと雖も、未だ一滴の飲に及ばず。或いは四種十服の勝負、或いは都鄙善悪の批判、ただに当座の興を催すに非ず。将に又生前の活計、何事か之に如かん。盧同云う、茶少なく湯多ければ、則ち雲脚散ず。茶多く湯少なければ、則ち粥面聚まる云云。誠に以て、興有り感有り。誰か之を翫ばざらんや。
 而して日景漸く傾き、茶礼将に終わらんとす。則ち茶具を退け、美肴を調え、酒を勧め、盃を飛ばす。三遅に先だって戸を論じ、十分に引きて飲を励ます。酔顔は霜葉の紅の如く、狂粧は風樹の動くに似たり。式て歌い式て舞い、一座の興を増す。又絃し又管し、四方の聴を驚かす。夕陽峯に没し、夜陰窓に移る。堂上には紅蝋の燈を挑げ、簾外に紫麝の薫を飛ばす。そうそうの遊宴申し尽くさず。委曲は併面謁を期し候。恐惶頓首。

 
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