松浦理英子 年譜

*印で記した出来事はおおよその時期を表す

一九五八年(一歳)

八月七日 愛媛県松山市に電電公社員の父の次女として生まれる

一九六〇年(三歳)

幼稚園に入園

*保母の態度から社会的に男女の性差があると気付く

*家の正面にはリハビリや技術訓練を行う身体障害者更正施設があり、裏には聾学校、
 また近所には盲人センターがあるという環境で、ノーマライゼーションの意識を持つようになる

一九六三年(六歳)

四月 小学校に入学

*小学校低学年の頃から童話のようなものを書き始める

*『少年マガジン』や『少年サンデー』を好んで読む

*漫画家にもなりたいと思うようになる

*『アンネの日記』を読んでナチス・ドイツの強制収容所に関心を持つ

一九六九年(一二歳)

漫画を書くのは神経を使うのでいやになり、漫画家の夢を断念する

一九七〇年(一三歳)

四月 公立中学校に入学

*一〇代の頃は河野多恵子や倉橋由美子を好んで読む

*中学・高校・大学前半まではロック音楽を好んで聴き、その後は黒人音楽に興味を持つ

一九七一年(一四歳)

徳島県から香川県丸亀市に引っ越す

一九七二年(一五歳)

ジャン・ジュネを愛読するようになる

一九七三年(一六歳)

丸亀図書館に通い、ヌーボー・ロマンやヌーボー・ヌーボー・ロマンを愛読するようになる

一九七六年(一九歳)

四月 青山学院大学仏文科に入学し、上京して目黒区の北向き四畳半(家賃一万千円)の下宿に住む

*ボーヴォワールの『第二の性』を読むが、新鮮さは感じなかった

一九七七年(二〇歳)

春休み「葬儀の日」を書きまとめる

一九七八年(二一歳)

*ゼミのコンパで茅野裕城子と知り合う

*この頃、夢の中で「親指Pの修行時代」のアイデアを得る

一一月二日 ぴいぷる・受賞」を『週刊文春』に発表

一二月一日 「葬儀の日」で第四七回文學界新人賞を受賞(後に芥川賞の候補となる)

「葬儀の日」を『文學界』に発表

一九七九年(二二歳)

六月二四日 「文壇の夏・燃えろ清少納言(女子学生作家)」を『サンデー毎日』に発表

七月一日 「火のリズム」を『文學界』に発表

一〇月一日 「乾く夏」を『文學界』に発表(後に芥川賞の候補となる)

一九八〇年(二三歳)

六月一日 「肥満体恐怖症」を『文學界』に発表

夏休み毎日平均四、五枚づつ小説を書き進める

八月 『葬儀の日』を文藝春秋から刊行

八日 「ほんとはマンガ家になりたかった」「ひと・期待の女流新人作家・松浦理英子」を『週刊朝日』に発表

一九八一年(二四歳)

一月二三日 「人間探険特集版・八一年の女」を『週刊朝日』に発表

二月一日 「セバスチャン」を『文學界』に発表

三月 「倉橋由美子「暗い旅」〈「沈黙」に至る旅〉」を『ユリイカ』に発表

四月 六畳一間(家賃二万八千円)のアパートに引っ越す
 
五月七日 「文春ライフマップ―純文学の星は「苛められるのが好き」」を『週刊文春』に発表

八月 『セバスチャン』を文藝春秋から刊行
 
九月一七日 「著者インタビュー・松浦理英子「セバスチャン」」を『女性セブン』に発表

一〇月三〇日 「女性解放の輝ける一歩」を『an・an』に発表

一一月 「「いい女」と呼ばれたがる女は男の巧妙な罠に陥りやすい」を『JUNON』に発表

一二月 「「幸福なお嬢さん」そう呼ばれたら怒ります?」を『with』に発表

一九八三年(二五歳)

七月 「Festa A to Z」を『Free』に連載(一九八四年六月まで)
    
    1983年9月「男が女に変わる時」、
    同10月「人形と人間の舞台」、
    同11月「豊川誕の官能性」、
    同12月「ジョン・モルダー・ブラウンの記憶」、
    1984年1月「〈生涯一美少女〉ジェーン・バーキン」

一九八四年(二六歳)

五月 「音盤的祝福」を『劇画チャイム』に連載(一九八四年一〇月まで)
  
 【1984年5月「音盤的祝福」を『劇画チャイム』に連載(1984年10月まで)】は、
 1984年5月「「インディア・ソング」サウンドトラック盤」、
 同6月「マルキ・ド・サド「RUE DE SIAM」」、
 同7月「ヴァージン・プルーンズ「HERESIE」」、
 同8月「コックニー・レベル「THE HUMAN MENAGERIE」」、
 同9月「セックス・ギャング・チルドレン「SEBASTIANE」」、
 同10月「アリタ・ケッリ「SINNO´ME MORO」」

六月 「優しい去勢のために」を『GS』に連載(一九八八年九月まで)

二五日 「ひと目惚れ」を『an・an』に発表

一九八五年(二七歳)

五月一日 「いちばん長い午後」を『文藝』に発表

七月一日 「口承文学としての「紫のふるえ」・アリスウォーカー「紫のふるえ」」を『すばる』に発表

九月 「似非・クリティック」を『スタジオボイス』に連載(一九八六年八月まで)
  
 【1985年9月「似非・クリティック」を『スタジオボイス』に連載(1986年8月まで)】は、
 1985年9月「アフリカ救援活動について感じた二、三の事柄」、
 同11月「犬よ!犬よ!」、
 1986年1月「発声的認識論」、
 同2月「Xからの電話、あるいは二人の怒れるカス女」、
 同3月「恋し厭わしスクール・デイズ」、
 同5月「〈なまもの〉について」、
 同6月「月経お祓い」、
 同7月「〈残酷〉な写真」

五日 「シックでアヴァンギャルド!私が触発される、アヴァンギャルド」を『ELLE JAPON』に発表

一一月 「性と生の彼方―両性具有とプラトニック・ラブ」を『GS』に発表

一日 「微熱休暇」を『文藝』に発表

九月 「変態月」をすばるに発表。(情報提供TOTOさん)

一二月 「あなたは女子プロレスを観たか」を『キャンパスカレンダー』に発表

一九八六年(二八歳)

一月 大原まり子との共著『大原まり子・松浦理英子の部屋』を旺文社から刊行

七月 「性器のないエロス」を『シネアスト』に発表

八月一四日 「敏感多感な少女のモデル・タイプ」を『就職情報』に連載(一九八六年八月二一日まで)

九月一八日 「ボテロ・トリップ」を『就職情報』に発表

一〇月二日 「プリンスの成熟」を『就職情報』に発表

九日 「スティーブン・キングの恥しい快楽」を『就職情報』に発表

二三日 「観念の吹出物」を『就職情報』に発表

一一月 「受け身に徹する男性」を『女からの声』(青野聰・講談社文庫)に発表

一二月一一日 「ナチス占領下の子供たち」を『就職情報』に発表

一九八七年(二九歳)

一月一五日 「性器からの解放を」を『ブルータス』に発表

二月 『ナチュラル・ウーマン』をトレヴィルから刊行

二〇日 「明日は主役!血の匂いのする性の鮮烈さ。彼女は山師か、錬金術師か?」を『ELLE JAPON』に発表

四月一六日 「個人的にも作家としても同性愛に興味なし」を『平凡パンチ』に発表

二五日 「最近、面白い本読みましたか「ナチュラル・ウーマン」」を『クロワッサン』に発表

六月 「絵本・いつか見た夢」を『パザパ』に発表

八月 「小説JUNE」に5〜6ページのインタヴュー記事掲載(提供Hollyさん、詳しい年月日pipiさん)

九月 「あなたは嫉妬深い女ですか?」を『MORE』に発表

一〇月 「「嵐が丘」異常な傑作」を『スタジオボイス』に発表

一一月一日 「好きな音盤・アンジェラの歯」を『文學界』に発表

一九八八年(三〇歳)

*「ナチュラル・ウーマン」が、第一回三島由紀夫賞の選考委員特別推薦で中上健次に推薦される

四月 「少女よ、少女よ、少女よ!」を『スタジオボイス』   に発表

一日 「反逆児たちの和解」を『朝日ジャーナル』に発表

六月一日 「マゾヒストの悪意」を『文學界』に発表

一〇月 「神経症的恋愛」を『SALE2』に発表

一一月 「一流のB級小説」を『青春と読書』に発表

一二月二〇日 「この人こそ名女優、と断言する、私だけの理由。」

「知性派でも肉体派でもない美しさを放つイタリア人女優」を『ELLE JAPON』に発表

一九八九年(三一歳)

一月 大原まり子との対談「対談・毒、この忘れ得ぬ魅惑よ。男が在るから女に芽生える毒素が在る。」を『スタジオボイス』に発表

一日 「読書ノート」を『文學界』に連載(一九八九年四月一日まで)

五月 「インタビュー「性の境界線を越えて」聞き手堂山夏人」を『早稲田文学』に発表

一日 「ワープロへの期待」を『群像』に発表

七月 「〈母性〉神話は罪つくり」を『ミス家庭画報』に発表

八月一日 「マウトハウンゼン、モナムール」を『文藝』に発表

「超個人的事件簿・女神か菩薩か」を『文學界』に発表

一〇月一日 「世界文学・私のこの一冊、青春の苦みパヴェーゼ「美しい夏」」を『すばる』に発表

一九九〇年(三二歳)

東販発行の『新刊ニュース』で中上健次と対談をする

一月一日 「私は女が好きである」を『中央公論』に発表

二月一日 「女は劣等生物だった」を『中央公論』に発表

三月 「女性の〈少年性〉」を『エキセントリック』に発表

一日 「レズビアン、フェニミズムとSM」を『中央公論』に発表

四月一日 「〈セク・ハラ〉が浮き彫りにしたもの」を『中央公論』に発表 

五月 「淡白な若者たち」を『エキセントリック』に発表
 
一日 「女は男をレイプするか」を『中央公論』に発表

六月一日 「男と女もっと仲よくなるために」を『中央公論』に発表

七月一日 「中上健次「讃歌」〈ブラザー・フロム・アナザー・カントリー〉」を『群像』に発表

五日 「われら三〇代・美しき独身の種族・孤独には強い。寂しいから誰かと住もうとは思わない。」を『クリーク』に発表

一〇月 「恋の序章から終章までKISSにときめく」を『MORE』に発表

一九日 「強健なる生命力の肯定」を『朝日ジャーナル』に 発表

一九九一年(三三歳)

一月「文化人女性の提言「男性とこうつき合えば幸せになれるはずです」」を『SAY』に発表

一一日 「文学の驚き」をよそに九一年は小説の連載を開始女子プロレスを観よう」を『朝日ジャーナル』に発表

中島富士子と金谷祐子との座談「大人の女の恋愛ガイド・どうしよう?二人の男が好きになった」を『an・an』に発表

二月二二日 「女の仕事カタログ・憧れのフリーで働くまでに私たちが学んだこと」を『an・an』に発表

三月 「鼠たちの罠」を『新劇』に発表

八日 「女体を通り越すフェティシズム」を『朝日ジャーナル』に発表

四月 「パンダの尻尾」を『新劇』に発表

五月 「遊ばれる子供たち」を『新劇』に発表

一日 「親指Pの修行時代」を『文藝』に連載(一九九三年一一月一日まで)

六月 「悲しき豊頬」を『新劇』に発表

一二日 「午前二時のヴィデオフリーク「チェーンヒート」ポールニコラス監督」を『太陽』に発表
 
七月 「Aの至福」を『新劇』に発表

二〇日 「私が嫉妬に燃える時」を『クリーク』に発表

八月 「少年の首とともに」を『新劇』に発表

九月 島田雅彦との対談「コワイけど、のぞいてみたいアチラの世界・SMワンダーランド」を『CREA』に発表

一〇月 「羞いの向こうの性」を『新劇』に発表

四日 『ナチュラル・ウーマン』を河出書房新社から刊行

一二月 「共同浴場都市パリ」を『新劇』に発表

五日 「究極のノンプロ評論だ!女子プロレス・女性という被差別が最大限輝くステージ。それが女子プロレス」を『自由時間』に発表

一九九二年(三四歳)

三月 「性器なき春画」を『新劇』に発表

一三日 安達哲との対談「「それでも女はくたばらない」『さくらの唄』を巡る性」を『朝日ジャーナル』に発表

四月一七日 「嘲笑せよ。強姦者は女を侮辱できない」を『朝日ジャーナル』に発表

六月一八日 「『朝日ジャーナル』誌上で起きたレイプ論争」を『自由時間』に発表

七月四日 『セバスチャン』を河出書房新社から刊行

一九九三年(三五歳)

一月七日 『葬儀の日』を河出書房新社から刊行

三月 笙野頼子との対談「なにもしていない馬鹿女の修行時代」を『ブックthe文藝』に発表

四月五日 「魅了するバストになる・体の外と内から真摯に、ポジティブに、自分の乳房と向き合う」を『クリーク』に発表

一一月 『親指Pの修行時代(上・下)』を河出書房新社から刊行

一九九四年(三六歳)

一月 「親指P」は性器じゃなくて、胸と皮膚で読んでほしい」を『CREA』に発表

    「親指がPになった二二歳の女は何を見たのか」を『マルコポーロ』に発表

一日 小倉千加子が『文藝』に発表した「幼形成熟の復讐」によって松浦理英子との間に論争が起こる

一二日 「松浦理英子、話題の小説「親指Pの修行時代」を語る。
 
「世間に蔓延している性愛の通念はいかに揺らぎうるのか」を『太陽』に発表

二三日 「虐げられた彼らが輝くための「装置」かもしれない」を『週刊宝石』に発表

二月 女子プロレスラーへのインタビュー「女子プロレスに熱くなる」を『鳩よ!』に発表

一日 「女子大生の悲喜劇「親指Pの修行時代」」を『現代』に発表

「【インタヴュー】親指Pの「真実」・聞き手渡部直己」を『文藝』に発表

三日 「親指P」の松浦理英子が激怒、小倉千加子を「殺してやります」を『週刊文春』に発表

九日 「セックス=性器結合主義、この性の通念を破りたい」を『VIEW』に発表

一三日 松浦さんTVに出演(情報提供TOTOさん)。

一七日 「気持ちのいいことはほかにたくさんあるんだから」を『Hanako』に発表

三月 「おかしな、不思議な、性の冒険「親指Pの修行時代」(上・下)」を『コスモポリタン』に発表

一日 「文学とセクシュアリティー」を『早稲田文学』に発表

一八日 「松浦理英子―「親指Pの修行時代」で愛と性の幻想をリアルに綴る」を『週刊ポスト』に発表

二五日 「最近、面白い本読みましたか・松浦理英子「親指Pの修行時代」」を『クロワッサン』に発表

四月一日 笙野頼子との対談「もの言う太鼓のように」を『文藝』に発表

二三日 「〈性の風景〉を描く、作家・松浦理英子」を『中日新聞』に発表

二八日 2DK(家賃一五万円)で駅から三分のマンションに引っ越す

笙野頼子との対談「女の体は男のために存在していると錯覚している男たちにこれだけは言いたい」を『SAPIO』に発表

五月 「男たちの静かな風景」を『クラウス・ゲーハート写真集』(河出書房新社)に発表

「「結合」だけが性愛じゃない」を『婦人公論』に発表

二〇日 「松浦理英子が魅力を語る「クラウス・ゲーハート写真集」」を『ELLE JAPON』に発表

三一日 『ポケット・フェティッシュ』を白水社から刊行

六月 「性器なんていらない」を『CREA』に発表

七月三一日 中村歌右衛門・新井素子・実相寺昭雄・小中千昭・小中和哉・荷宮和子・ブル中野・テクノクラート・DOO-DOO-DOO・椹木野衣・西原a・小谷真理・黒皮耐逸郎との共著
 『銀星倶楽部一八・ぬいぐるみ』をペヨトル工房から刊行

八月 笙野頼子との対談集『おカルトお毒味定食』を河出書房新社から刊行

八日 「女とは何か?」を『自由時間』に発表

九月 『優しい去勢のために』を筑摩書房から刊行

四日 「ポケット・フェティッシュ」図版と組み合わせて生きる文章を」を『サンデー毎日』に発表

一二月 「親指Pの修行時代」で第三三回女流文学賞受賞

一七日 自ら脚本を書いた映画「ナチュラル・ウーマン」をケイエスエスから発表

二五日 島田雅彦との対談「プロレタリア作家は倒錯する」を『中央公論文芸特集』に発表 

*1994年 「FRAU」(講談社の女性誌)にインタビュー記事掲載(Hollyさん提供)

一九九五年(三七歳)

一月 「平成六年女のドラマ総決算・愛と性に波乱を呼んだ女性たち」を『MORE』に発表

二月 「笙野頼子イズム・日常を笑いとばす超前衛作家の原風景」を『鳩よ!』に発表

二四日 『日本のフェミニズム六・「セクシュアリティ」』を岩波書店から刊行

四月 「人間に対してちょっとマニアックなんです」を『広告批評』に発表

六月 「フリーネSPECIALインタビュー」を『フリーネ』に発表

九月四日 『親指Pの修行時代(上・下)』を河出書房新社から刊行

一一月 「松浦理英子自身による松浦理英子スペシャル」
      「松浦理英子にきく五一の質問」
      「本人自身による全作品解説」
      「特別寄稿・一〇のラブ・ソングに寄せる一〇の愛をめぐる呟き」
     を『月刊カドカワ』に発表

一二月 「中産階級の不幸」を『現代』に発表

一日 『トーキングヘッズ叢書第八巻・松浦理英子とPセンスな愛の美学』を書苑新社から刊行

一九九六年(三八歳)

一月 「おぼれる人生相談」を『月刊カドカワ』に連載(一九九七年六月まで)

二月一日 茅野裕城子・広谷鏡子との対談「小説を書く運命をめぐって」を『すばる』に発表

一九九七年(三九歳)

四月四日 笙野頼子との対談集『おカルトお毒味定食』を河出書房新社から刊行

一二月四日 『優しい去勢のために』を筑摩書房から刊行

一九九八年(四〇歳)

四月二〇日 村上龍・島田雅彦・小森陽一・大岡信・川本三郎・三浦雅士・陣野俊史・柄谷行人・浅田彰・
        黒田邦雄・小島信夫・川西政明・加藤典洋・山崎正和・吉本隆明・笠井潔・渡部直己・蓮實重彦・
        村上龍・山口昌男・吉本ばなな・村松友・巽孝之・中上健次との共著
        『群像・日本の作家二九・村上龍』を小学館から刊行

一一月 「【インタビュー】ミルキーイソベ・聞き手松浦理英子」を『文藝』に発表

一二月二五日 『おぼれる人生相談』を角川書店から刊行

一九九九年(四一歳)

五月 「裏ヴァージョン(四)」を『ちくま』に発表

七月 山田詠美・増田みず子・笙野頼子との共著『女性作家シリーズ二一』を角川書店から刊行

九月 桐野夏生との対談を『オール読物』に発表

二〇〇〇年(四二歳)

「裏ヴァージョン」連載終了

一〇月 新潮社発行「ダ・ヴィンチ」NOV 2000 11月号にインタビュー・写真掲載

一〇月一〇日『裏ヴァージョン』筑摩書房より発売

一〇月 週刊朝日、週刊文春に「裏ヴァージョン」紹介と松浦さんインタビュー掲載

感謝 マキさん(一九五八〜一九九九編) 情報提供 Hollyさん、pipiさん


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