五十八話   こだわり(2005.9.5)
Y氏は40歳を少し越えた独身のサラリーマンで、会社では中堅でもあり、多忙な日々であった。両親は数年ほど前に亡くなり、その後1人で暮らしていた。家には父親が残した植木が相当数あり、毎年手入れをするだけでも1週間以上は優に費やした。手入れを業者に頼んでも良いのであるが、相当な金額になるし、それに多少自分でも手入れの心得があったため、勿体ない気がして毎年自分でする事にしていた。放っておいてもかまわないのであるが、なぜか手入れをしないではいられず、手入れをし始めると納得の行くまで何度もしなければ気がすまなかった。だが、此処に来て仕事の忙しさもあって疎ましく「一度手入れをしたら、このまま変わらない方法は無いものか・・・」と常々思う様になっていた。

彼は滅多に友人と話す事がなかったが、ある日、ちょっとしたきっかけで話す機会があった。その友人に植木の話を持ちかけると「それならK氏に聞いて見るといいよ、噂では生物学の博士で、その手の方法を知っているらしい。但し、ちょっと胡散臭く、金にはうるさい所ががあるから注意をした方がいい」との事であった。

早速、K氏の住所を調べ訪ねる事にした。K氏の家はちょっとした小高い森の中にあった。周りにはこんもりとした木々があり、手入れが行き届いていたが、木々で日が遮られているせいか、何となく薄暗かった。Y氏がチャイムを鳴らすと、しばらくしてからドアが開き、少し青白い顔をした60歳前後と思われる白髪まじりのK氏が顔を覗かせた。K氏はじっとY氏を見つめ
「何かようかね」とぶっきら棒に聞いた。
「ええ、ちょっと・・・植木の手入れの事で相談がありまして・・・友人に貴方に相談したら?、と言われて」Y氏はちょっと早口にと言うと、K氏は怪訝な顔をしながらも家に入る様に言った。入ると応接間に通された。Y氏は早速植木での日頃の手入れに手をやき困っている事を訴え
「何とか、1度手入れをしたらそのままになる方法は無いか」と相談した。
黙って聞いていたK氏はしばらく考え込んだ様子の後
「う〜む、無いことはないが・・・」
「え!あるんですか?」とY氏は身を乗り出して聞き耳を立てた。
「私は長年遺伝子研究をして来た。丁度金属で形状記憶する様に、植物での形状記憶メカニズムを発見したんだ。勿論金属とは違って遺伝子がその形状を記憶していて、古い葉が枯れ落ちて、新芽がでて伸びても常に記憶された形状となり、それ以上は成長が止まる様に出来るんだよ」
「それ、それですよ!私が求めていたのは」とY氏は顔を紅調させ、ちょっと声高に言った。
「ほほー、大分乗り気だね、どうだね早速試してみるかね」とK氏は少し満足げに言った。
「早速試して見たいですが・・・結構お高いんでしょうね?」
「まあ、これは手始めだから・・・今回は特に金は要らんよ」
「それではあまりですので・・・お支払いしますよ」とY氏は申し訳なさそうに言うと、ちょっと含みのある笑いを浮かべながら
「別に気にしなくても、その内に・・・」とそれほど金に執着する様子もなくK氏が答えたので、Y氏は友人から聞いていたイメージとは大分違うなと思いながらも頼む事にした。
「では、早速だが植木の記憶期間はどの程度にするかね?100年位かね」とK氏が興味有り気に切り出した。
「そうですね、そんなにも必要ないかもしれませんが、後世にも・・・」と、Y氏はちょっと宙に目をやり、考えた後
「100年にします」とふっきった様に答えた。
「そうですか、では早速明日にでも私の創った薬を試してみますか?」とK氏は乗り気な様子であった。

次の日Y氏はK氏を自宅に連れて行き、植木を案内した。
「なるほど、大変な植木ですね、これじゃ手入れも大変で、嘆く気持ちも分かりますよ」と辺りを見回しながら少し感心した様子でK氏は言った後
「では早速試して見る事ににしましょうか、姿、形は今のままでよろしいですね?」と念を押した様にK氏が言うと、Y氏は少し植木を眺めた後
「結構です」とちょっと不安気ながらも、きっぱりと答えた。
「よろしい、では、100年、100年間この姿に再現される事にします」と言いながら、K氏は徐に鞄から薬らしき瓶を取り出し、ちょっと大きめな注射器にその白い液体を吸い込むと、次々と植木にその薬を注入し始め、小一時間程で終えた。
「全ての植木に注入し終わりました、これで100年間毎年同じ形に再現される事になりますぞ」
その様子をじ〜と見ていたY氏は
「ありがとうござました、これで手入れから開放され、仕事に集中できます」と言った後、お金はいいと言われたが一応念のため
「お礼の方はいかが致しましょう」と聞いて見た。
「この前も言った通り、今は結構です・・・」とニヤリとしながらK氏は言った。Y氏は少し気になったが
「それでは、お言葉に甘えて・・・、やあ、助かりました」と再びお礼を言った後、K氏を自宅に送って行った。

その年、木々の葉は枯れ落ちた。次の年に若芽が噴出し、力強く葉が茂って行く様子を見て、Y氏は「本当に元の形で止まるのだろうか?」と、半信半疑で植木の様子を窺がっていた。数ヶ月後、見事に植木は去年の薬を注入した時の形で成長を止めた。それを見てY氏は「う〜ん、これは凄い!」と一頻り唸った。それから、毎年植木は同じ形で成長を止めたのである。Y氏はそれを満足気に眺めていた。

それから、10数年が経ったであろうか、Y氏も会社を定年近くとなり、時間にもゆとりが生まれて、改めて植木を眺めまわし始めた。すると、一本の植木の枝が邪魔に思えた。今までは忙しさもあり、それ程しげしげと見た事が無く、気にも止めなかったが、よくよく見ると、どうしてもその枝が気になった。気になり出すと、そこにばかり目が行き、その枝を切り、形を変えなくては気が済まない思いに駆られた。そこで、Y氏は再びK氏を訪ねる事にした。

K氏の家に行くと数年前と同じたたずまいで家はあり、チャイムを鳴らすと数年前とほとんど変わらない顔をしてK氏が出てきた。もっとも、今度は面識があるので訝しげな顔をせず、すぐに応接間に案内された。しばらく、話をした後
「その木の姿を何とか変える事はできませんでしょうか」とY氏は懇願する様に言った。するとK氏は
「残念だがこの前も言った通り、100年間は無理だ、今のまま我慢するしか無いだろうね」とちょっと困惑気した様子ながらも、坦々と答えた。
「そこを何とかできませんでしょうか、気になって、気になって夜も寝れないし、外出の時には嫌でも目に止まり、そこにばかり目が行って他の植木に目もくれない程なんですよ」と泣き出さんばかりだ。
K氏はしばらく考え込んでいたが
「残念ですが変える方法は無い、でも、どうしても気になるのであれば・・・」とちょっと口ごもった後に
「いっそ、貴方が100年後に蘇ってその植木を直す事にしたらどうですか?」と言った。その言葉に
「え!蘇る?そんな事が出来るんですか?」と食い入る様にY氏は訊ねた。すると
「私は、人間の時限再生クローン技術も持っており、蘇らせる事も可能ですよ」と事も無げに言った。
「そうですか、今のまま気になっている位なら、一層そうした方がすっきりするかも知れません、それに、気になったままあの世に逝ってあの世で悔むのも嫌ですし・・・、お願いできますか?」と、植木の再現技術を見て信頼しきっていたY氏は確信した様子で答えた。
「そうですか・・・でも、今度ばかりは只と言うわけには行きませんがね・・・」
「いくらくらいなんでしょうか?」と、嘗ての友人の言葉が頭を過ぎったY氏は、不安気に聞いた。
「そうですね・・・・まあ、一億円って言う所ですかね」
「い、一億円!とてもそんなお金は用意できません」
「そうですか・・・、では、あきらめますか?」二人の間でしばらく無言の時間が舞い、静寂が包んだ後に、K氏は徐に
「でも、それを用意する方法があるのですよ」と切り出だした。
「え!出来るんですか?」とY氏は驚きをの声をあげた。
「はい、私は、細胞を加速度的に老化させ自然死させた後、先ほど言った様に再生する技術も持っているんです」と言うと、K氏の言っている事が良く分からず怪訝な顔をしているY氏を見ながら一枚の紙を取り出した。
「此処にサインをして貰えば良いんですよ」
と言いながら、K氏を受取人名義としたY氏の保険契約書を差し出した。